画家??

”誹謗・中傷を避けたいのならイラストレーターには向いていない”という文面を、どこかのサイトで読んだ。

さらに、”それが嫌なら画家になれ”と続く。




ヤダね。





例として、ピカソは有名な画家の一人で《ムンクの叫び》や《ゲルニカ》が代表作だが、非常に残念で申し訳ないことに魅力を感じない。
私の感受性という名のアンテナが狂っているのかと悩んだ時期すらあった。
ゲルニカ》を耳にした時には歯磨き粉だと思い込んだものだ。

現に今このブログ上でピカソを中傷していることになる。



事実。

画家も有名になれば誹謗・中傷の対象じゃん。




確かにイラストレーターときけば、割とポップで親しみやすい印象を受ける。
それだけ日常的に、作品が人々の目に触れる場面が多いからだろう。
雑誌や小説の挿絵、CDのジャケット、近年はイラストレーターがエッセイを出版することも多い。
普通の生活を送る人々にとって、様々なメディアで見かけるもののほうが密接性が高いと言える。



「あ、かわいい!」
「変な絵!」

などとナチュラルに評価できることになる。




画家となると、油だらけのアトリエに石像が何体も転がっており、入り口に背を向けて筆をとっているような、いかにも頑固そうで偏屈な人を想像してしまう。
しまいには作品に集中しすぎてお風呂に入っていないのね。
※あくまでイメージです


そんな私も相当な偏屈なんだけどね。


有名な画家の作品には重厚な額縁の他に、さらに大理石や赤い絨毯という枠におさめられており、非日常的な空間の中でじっくりと鑑賞するものである。

その辺のスーパーで長ネギを買っているような私には、敷居が高すぎてなかなか入れない。

画家の意図を考えたり、到底理解できないような世界に浸ることになるのだ。
画家は客を選ぶ。





そして、大体は死んでから金になる。







これはもう。
時間と労力のムダ。
※あくまで個人的な意見です



現代は何でもデジタル化しており、風の噂では漫画家の鳥◯明先生ですらアナログをお捨てになったそうだ。
作品を比較してみると、画風は変わったものの独創性はご健在だった。

アナログからデジタルへの完全な移行は、当初からのファンにとっては悲しいことなのかもしれない。


しかし、世に作品を出す者にとって、見る側に自分の絵だと一目で解ってもらえることはありがたいはずだ。





おや?
そういった意味ではピカソってわかりやすい画家なんじゃ……。


もちろん自分にも絵の好き嫌いがあり、全体的にぼんやりとした作風よりはぱっと目をひくような筆圧が強めの作風を好む。
これは自分の作品に反映されている。


絵を描く道具としての紙とペンがなくなる日は、そう遠くないのかもしれない。

結果、私にはどちらも向いているとはいえないのだが、今後ともゆる〜〜くフリーのイラストレーターとして細々と活動していくことが自然な流れである。


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↑久々の模写のモデルは高橋宏貴さん。


MacBook、買おうかな。